凜太郎は紛れもなく私たち家族の一員です。
凜太郎は、動物の種類としては「犬」という括りでけっして人間ではありませんが、ときには人間という動物以上の存在にもなる大切な家族です。
ただ、だからといって他人様にその価値観を押しつけるつもりもありませんし、ましてや人間と同じように扱ってくれなんて思いません。
お正月の飛行機事故でいろいろと議論になっていますが、そもそもペットと一緒に飛行機に乗る理由って何があるんでしょう?
それって、目的はどうあれ、突き詰めれば「一緒に速く」移動したいという飼い主の勝手な都合だと思うんです。
飛行機では貨物扱いになることが分かっているのですから、それがイヤなら速く移動することを諦めて「別の交通手段を使う」という選択をすればいいわけで。
なぜ、今回のようなケースがあれば命が救えないということを承諾してまで、乗ることを拒否できないペットを一匹で寂しい貨物室に放置するのか。
「少しの時間だから我慢して」って言われて、訳の分からない空間に置き去りにされる大切な家族の気持ちは?
私は飛行機が飛んでいる間、貨物室で寂しく怯えている凜太郎を想像しただけで涙が出そうになります。
さらには、「大切な家族なんだから客室で一緒に乗れるようにして欲しい」という意見があるのも不思議でなりません。
たとえ一緒に客室にいても扱いは「荷物」の1つなのだから、緊急時には他の人の命のためにも手ぶらで行動する(脱出シューターを傷つけたり、パニックで噛んだりも含めて)、つまり置いていかなければいけないルールがあります。
だからもし今回のような事故が起きてしまったら、貨物室でも客室でも結末は同じ、いや目の前で置き去りにするわけですからもっと・・・
なので、私は飛行機の客室に一緒に乗れるようになんていう議論も必要ないと思います。
ただ単に、一緒の移動が必要になったときに飛行機という交通手段を選択しなければいいだけですよね、大切な家族のために。
動物が苦手な人やアレルギーのある人がいることも含めて、便を限定すればいいとか、規則を変更すればいいとかいう以前の問題だと思うんです。
なぜ飼い主の「一緒に速く移動したい」という都合のために、多少の差こそあれ、周りの人が我慢を強いられなければいけないのか。
(ちなみに羽田ー新千歳間のチャーター機は4人乗りで往復400万円位だそうです)
しかも、日本国内であれば車や船で確実に移動ができるし(沖縄は現状一緒は無理かも)、たとえそれが海外への移動だったり引越しだとしても、その不自由を受け入れた上で飼いはじめたんじゃないのかと。
そしてそういう人達は、人間が密集していて、気圧の変化や、突然の激しい揺れが起こる飛行機という特殊な乗り物に乗ることが、犬や猫にとってストレスになるとは考えないのでしょうか?
「ペットも家族の一員だから」の本当の意味は、ペットを人間と同じように扱うということではなく、ペットのためを想って、その動物なりの生活環境の中でできるだけストレスのないように世話をしながら暮らしていくことだと思います。
ペットを家族として迎えるときに『不自由』も含めてお世話をする覚悟を決めたわけですから、いまさら「大切な家族だから人間と同じように扱って!」とか「ペットを飼っている人にも権利がある」という主張はちょっと違うでしょ?と。
もちろん自分も周りの方のご厚意に甘えることも多々ありますし、他人に迷惑を掛けていることを飼い主として反省しなければいけないと思います。
迷惑を掛けてしまうこともあるんですが、それでもやっぱり私たちにとって凜太郎は大切な家族の一員です。
むしろ、人間と同じように扱ってはいけない大切な家族です。
有り難いことに、最近はペット可のレストランや宿泊施設が増えてきてるから利用させてもらう機会もありますが、
ペットを飼っていない人の気持ちも考えながら、これからも一緒に暮らしていけたらと改めて思いました。
最後に、今回の事故で亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。そして家族を失った方に心からお悔やみ申し上げます。